こんばんは☽
6月なのにとても寒いですね。梅雨ってこんなもんでしたっけ?
長袖にセーターの出で立ちで外に出ましたが、それでも寒さに震えております。
カウンセリングサロンArk(アーク)杉並の青木です。
先日、『セッション』という映画をみました。
ネタバレになるかはわかりませんが、これから見よう、見るかもで、ネタバレダメ!な方は注意してくださいませ。
適当に説明すると、名門音楽学校に入学した天才気味ドラマー青年と狂気の鬼コーチ(指揮者)がジャズ極める感じの話です。
一言で言うと、2人ともすっごい狂ってる!笑
最初は青年も、青年らしい野心を抱えてドラム叩いてる感じだったんですよ。
それが徐々にコーチに触発され、内面に持っていたものが喚起されたのか、アイデンティティ全てドラムに持ってかれましたってなぐらい、叩くことに執着します。
そりゃもう事故っても血まみれでドラム叩きに行くレベルで。
まぁ叩けてなかったんですけど、それで一度はドラムからさよならするのですけれど。
対して鬼コーチは登場時からキレッキレでして、え?性格悪すぎじゃない?暴言じゃない?ってか今の差別用語じゃない?ってレベルでジャズバンドのメンツを、度を超えたレベル罵倒していたんですよ。
それで半分は身から出た錆って感じで、途中で転職する羽目になってました。
まぁなんやかんやで再会する2人。
最後にセッションして終わるってストーリーなのですが、この最後のセッションに至るまでも至っても、とにかくお互いをぶつけ合ってるんですね。
最初からデッドボール狙いでキャッチボールしてるんですよ。
ゼロ距離で。多分ボールにはびっちりスタッズ付いてますよ、アレは。
とにかく剥き出しだし、語りは少ないし、音楽と表情で構成されてる映画だったんです、私的には。
途中まで、“なんか高評価だけど青木にはよくわからない映画”ランキングの10位以内に入りそうなくらいだったのですが、
だんだんと…観ているうちに…
「…おや?これは何かに似てる…知ってる…_( ᐛ _)」
そう、カウンセリングに似ているんですよ。
どっちがクライアントでどっちがセラピストかっていうのはないのですが。
強いていうなら、互いがクライアントでありセラピストでしょうか。
相手の語りそのものを意味付けするのではなく、互いのその奥にある本質的な何かを探して、(時には暗喩で)提示して、掴み合って通じる感じ。
善悪とか他者観とか一般論みたいな、普段社会参加で使うような面は置いといて、自分自身の感覚とか衝動とか感情とか欲求とか、本来的なものをさらけ出す感じがすごく面接中っぽいんです。
セッションって意味を調べると、「複数の演奏者が集まって演奏する」とか、「開会期間」とか、「話し合い」とかって出てくるんです。
あとは「始まりと終わり」って意味も出てきました。なんかオシャ!
カウンセリングも、人によっては面談をセッションって呼んだりするのを聞いたことがあります。
多分「話し合い」か、「始まりと終わり」にあたるのかなと思いますが、詳しくは知らないのでそれはまた今度調べたら書いときます。
他のセラピストさんはそうは思わないかもなので、本当に一セラピストの感覚論ですが…
面接の中でごくたまに、言葉を超えたところでなんか繋がる瞬間があったりします。
どちらか片方だけが見えているものがある、見えてきたものがあるっていうのとはまた別で。それはそれで問題なくプラスになったりするのですが。
多分クライアントさんもセラピストも相互に、揺るがされる?ような、シンクロするような?瞬間があるのですが、おそらくこれがキーで、色んなことが動き出すとか、変化する、そういう局面があるんですね。
この映画の最後のセッションは、そんな風に一つ何かが繋がって終わってた感じがあります。
他にも色々、心理の視点で見るとなかなか面白い映画でした。
そんなこんなで、それではまた〜!
寒いですが、皆さま心身ともにご自愛くださいませ〜!
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