カウンセリングサロンArk(アーク)杉並のBlog

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【ただの】族長の秋って話【感想】

こんばんは🌝

カウンセリングサロンArk(アーク)杉並の青木です。

昨日加藤くんも似たようなこと言ってましたが…いやはや、また暑さがぶり返してきましたね🌞💦 しんど。

 

そいえばこの前のブログで、金木犀今年早めに咲いちゃったからもうこの時期咲かないのかな〜🥺なんて嘆いておりましたが…咲いてますね!!

めっちゃいいにおい!!嬉しい!!🙌

 

ちょっと前に読み始めて放置していた、ガルシア・マルケスの『族長の秋』の続きを読んでいます。秋ですしおすし。孤独な大統領の話っす。

中身は秋関係あるか??とも思いつつ、主人公の大統領の人生ってずっと秋みたいなもんだったんかなぁ〜なんて思いながら読んでます。比喩比喩。

晩夏から秋って独特の哀愁があって好きでして、この話はそんな雰囲気だ。

私はラテンアメリカ文学を多分ガルシア・マルケスしか読んだことがないので、ガルシア・マルケスだけに言えることなのか、ラテンアメリカに共通する感覚なのかは不明ですが、リビドー的陰鬱さがありますね〜。

エロスとタナトスの表裏一体さが上手く表現されているというか。族長の秋は、それが破壊的に共存しているって感じがします。

 最近読んだ本で、「中年期は5という数字が象徴的に入ってくる、それは余剰である」的なことが書かれていたのですが、この余剰の5の状態が中年期には必要で、それが次のライフステージに向かうための成熟とか崩壊とかをもたらすんだとか。

これもまたエロスとタナトス

生きてりゃ死が付き纏うし、死ぬまで生が付き纏いますね〜!

んで、主人公の大統領には、抱えきれない5が沢山あって、泥壁みたいにボロボロ崩れていっていることにもおそらく自覚的なんじゃないかと思うのですけれど、既に個人の預かり知らぬところまで展開してしまっていて引き返せないうえ、向かった先も道ならぬ進路をとってる、とるしかない状況がなんともペーソス。

個人を逸脱し、大統領という名詞的役割で得た沢山の5に蝕まれていく過程が、同情や理解などにはならないのに、感情は巻き込まれるような、なんともザワつく描写でして、いやはや、ガルシア・マルケス、ホントすげーな!ってなりました。

わからんですけれど、この作品は段落がないので、読むには文章全体を表象的にだけさらっていきやすくなっているのではなかろうか。

そうすると、描かれている彼の言動(大統領役割としての主人公)に注意が集中しやすくなっているので、客観性が先んじて共感を生じづらいのかと思いますが、文脈の中に、彼自身も自覚的じゃない内的な動き(役割でない個人)が絶妙に潜んでいて、読み手はその個人を無意識に感知して、本質的な個人の孤独に揺さぶられるような、巻き込まれるようなザワつきを覚えるのかもしれません。

ところで、「絶壁の細密な石版画。」って一文があるのですが、厨二病のせいかなんかこの一文がツボりました。かっこよ。ビジュアル系の歌詞にありそう笑

 

それでは、本日はこの辺で!

ここまでお読みくださって、本当にありがとうございます🍵

寒暖よくわからない感じになっておりますので、皆さま心身お大事にお過ごしくださいませ〜!

 

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