こんばんは🌝
カウンセリングサロンArk(アーク)杉並の青木です。
今日は曇り時々小雨でしたね〜🌧パラつくパラつく〜!
今日はヒプマイのセカンドバトルファイナルの中間発表でして、結果見て、おあぁあぁぁ…となっております。麻天狼〜!!
18時くらいに帰宅して19時の発表まで暇を持て余し、夕寝を嗜んだら寝過ごしてリアタイできなかったのですが、こういう時にLINEでコメント飛ばし合うハマ推しの友人が、無言の青木を気遣ってか?、結果について若干の気遣いを漂わせるLINEをくれていて、なんかごめんってなりました。寝てただけなんすわ…すまぬ。
まぁ平和主義者青木としては、全ディビ優勝して欲しいところなのですが、推しは麻天狼だから複雑な心境です。
あと10年若かったら、今回の結果に狂わんばかりに動揺していたかもしれませんが、歳をとるとリアルとファンタジーの自他分離が明確になるせいか、まぁまぁ☺️、と落ち着いた心持ちでいられるようになります。加齢素晴らしい。
心理学っぽく言いますと、加齢とそれに伴う経験とかその他諸々のおかげで、先ほど述べたように自他分離が明確になるといいますか、現実原則が身についてくるといいますか、心が振動する元気がないから涅槃原則が働くといいますか、二次元とかハマっているコンテンツに、主体(己)が身も世も崩すほどブレるってことが減ってくるってのがありますね。
ブレてる体で、熱中している己に酔うって様はあるかもしれませんが、もはやそういうので快楽原則が満たせなくなってくるので、どこか酔いきれない冷静な自分がいたりするという。
アラサーオタクあるあるかなと思うのですが、皆さま如何でせう??
自他分離?現実原則?涅槃原則?快楽原則?ってなると思うので…
一応適当にザックリ解説しときますね!ザックリですので、悪しからず!
自他分離ってのは、ホント漢字そのままで、自分とその他(人間含む)が別物、離れたもの、それぞれ個体として独立してるってやつなのですけれど、分離は境界、線引きって感じですかね。自他境界とか自他の境界線とも言われたりします。
なので、自他分離ができるとか、自他分離がハッキリしているっていうのは、自分と他者(あるいは自分以外の事物)が別であることを捉えられている、ある種、棲み分けができているというような状態です。
これって精神的な成熟にとても重要でして、自他境界が育ってくると、自分の感情に巻き込まないし、他人の感情に巻き込まれない、自分の価値観も大事にできるし押し付けない、相手の価値観が違っても受け入れられるとか、そういうのを獲得できるものだったりします。
他にも色々ありますが、長くなるのでこの辺で!
んで、現実原則と涅槃原則、快楽原則ですが、これらは精神分析学の概念になります。
大体フロイト大先生発の用語だったりしますが、快楽原則はフェヒナー大先生です。
快楽原則(快感原則、快・不快原則とかともいう)っていうのは、字義で捉えるような快感とか快楽とはちょっと違いまして、快を求めて不快を避けようとする、心の一定を維持しようとするために、生物的に心理的に必要なものを満たそうすることです。
お腹が空いたから食べる、眠いから寝るといった生物として基本的なこともそうですし、いや、麻天狼の得票数7万だったけど?みたいな、自分にとって芳しくない事象に、妄想にも近い夢に支配されて不快を避ける働きであったりもします。満たされてないことも満たすといいましょうか。
後者は現実に則らない心理的回復を図るわけですから、フロイト先生は、快楽原則は生の欲動(エロス)より死の欲動(タナトス)ぽくない?的なことをおっしゃってます。破滅的ですね。
ただ快楽原則は、死の欲動に寄ってんな〜ってだけで、生と死の欲動は相席してま〜す★ってことが、フロイト先生ののちの著書で書かれております。
んで、現実原則は、この快楽原則の延長にあるとされておりまして(対ではないんだな)、快まっしぐらな快楽原則を抑えて、直裁に満たされることを延ばして現実に耐える力、満たされない事象に対し、現実と兼ね合って折り合いをつける、満たされないこともあることを受け入れる力だったりします。
お腹が空いているけれど、真夜中だから明日の朝食べるとか、眠いけれど仕事中だから家に帰ってから寝るとか、麻天狼が危うい状況ではあるが、自分ができることは限られてる、VR投票は頑張るが、それができたら結果を待ち、受け入れるのみ!といった感じです。
現実を計算した上で確保する快楽ですから、人間の心が発達する、つまり精神の成熟に伴って獲得、確立されるもので、理性的で現実的な快楽希求、快楽充足だったりします。
ニルヴァーナっつうとバンドが真っ先に出てくるのは我だけであろうか??
(※仏教用語の涅槃とはちょっと異にしますので、悪しからず!)
涅槃原則っていうのは、外的・内的事象に対して、心の反応を無にする、もしくは限りなく無に近づけようとする心的機能を示す概念です。心は根源的に無への回帰を目論む傾向があるとし、この概念は、死の欲動の発現・表現と捉えられてます。エコですね〜。靡かない。
お腹?減ってませんわ(食べてないけどマジで言ってる)、ヒプマイの中間発表?あ〜、そういう結果ですか(無)。って感じです。心頭滅却すれば火もまた涼し的な感じ?
さっき快楽原則のとこで書いた通り、フロイト先生は、快楽原則って死の欲動じゃね?的発言の4年後に、より各原則を精細にして、涅槃原則は死の欲動由来だけど、生の欲動に結合するすることで、快楽原則になるわな!的なことをおっしゃってます。
すごいですね〜!突き詰めますね〜!!どんだけ色々考えたんだろう。
ままま、これらの概念は一考察の域でもありますので、全ての個人、人間の心的力動に当てはまるって訳でもないので、面白い概念ですね〜ってくらいに思っていただければ!
わ〜!長い〜💦心理のオタク語りだ〜💦こわ〜!
最後までお読みくださった方がいましたら、本当にありがとうございます🍵
それでは、今夜もゆっくりお休めますよう★彡
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