やっと緊急事態宣言が解除されますね。ただ、それ以降もまん延防止等重点措置は継続するようですので、ワクチンが行き渡るまでまだまだ油断はできない日々が続きますね。
どうも カウンセリングサロンArk杉並です。
新作がただいま公開されておりますが、私が見たのはその影響でAmazon Prime Videoで配信された旧作の『ザ・ファブル』です。伝説のファブルという殺し屋の主人公が1年、人を殺さずに過ごすことを命じられて、という漫画原作の作品です。
主演は岡田准一さん! いや、スタントなしでのアクションは本当にさすがとしか言いようがなかったですね。
その中で、少し気になったのが『普通~しないのか?』というセリフで、これはファブルが殺し屋として育てられたため、常識的なところを知らないところからきています。例えば、枝豆を皮つきで食べたり、さんまを頭から食べたりするのですが、それを見たヒロインやほかのキャラの反応を見て、『もしかして、普通は皮ごと(頭から)食べたりしないのか?』ということに気づきます。
私は、このシーンで結構前からぼんやり頭にあった、『普通』について、改めて考えさせられました。
『普通』ってなんでしょう。心理学ではなく、どちらかといえば哲学的な話になるのでしょうか。
前に読んだ本で、『普通はそれぞれの人がこうだろう、と思っている共同幻想の一つ』とありました。どういった本か覚えてはいないのですが、確かにそうなのかもしれないと思った記憶があります。
『普通』の定義って難しいですよね。先ほどの言葉からいうと、人の数だけ『普通』の基準が存在しているということになります。でも、おそらくその基準は重なるところもあれば、全然違うところも存在しているように思えます。
『これができるのは普通』、『普通はこうする』、『普通はしない』など、これまでの人生の中で聞いたことのある人は多いと思いますが、結局のところ絶対的な基準はなく、その人の経験の中で培われてきた基準が『普通』というものになっているように感じます。
あと、この『普通』というものに苦しめられている人も結構いるんじゃないかなと最近は思います。周りの人が『普通』にできてそうなことができない。ということで、どうしてできないんだろうとなってしまう。そんなこともあると思います。
でも、その『普通』にできてそうなことをその人がどんな経緯で身につけたかはわからないわけです。たまたま、その人が前からやっていて、最初はできていなかったけど慣れたとか、本当にすぐにやってできたものなのかはわかりません。
しかも、その人はできていたとしてもそのほかの人が同じように最初からできるとは限らないわけですね。
逆もまたしかりで、自分は『普通』にできていることでも人から見たら、それをするのにすごい労力がいったり、なかなかできなかったりすることがあるものです。
そういう意味では、自分の持っている『普通』の基準って案外あてにならないのかもしれません。
もし、『普通』というものに苦しめられていると感じている人はいったんその基準を見直してみるのも一つ手だと思います。
さて、特にこの話に結論はないのでこのあたりで。
ブログ担当: K
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