こんばんは🌝
カウンセリングサロンArk(アーク)杉並の青木です。
今日もいい天気ですね!って気でいたら、さっきパラリと雨が降ってましたね☔️
今日も今日とて多肉の植え替えに勤しんでおりました🪴
や〜、ホントにこれ以外にしていることと言ったら仕事くらいしかないっす。
何かブログネタを仕入れねばですわ🤔
というわけで唐突に、今読んでいる本は、『天才だもの。私たちは異常な存在をどう見てきたのか』(春日武彦著)です📖精神科医の先生が書いてらっしゃいます。
恥ずかしながら先生のご本を読んだことがなく、ちょっと前に、『サイコパス解剖学』(春日武彦×平山夢明)で、この対談中の頃に起きた事件について求められたコメントが面白かったし、そりゃそーだよなとしっくりしたので、他のも読んでみよってなった次第です。
Arkか自宅かに、昔買った春日先生の本(『屋根裏に誰かいるんですよ。都市伝説の精神病理』だったかと思われる)がどこかに積読されているはずなのですが、探すのも面倒くさくて別の本を読んでみることにしました。
探して読めばいいのにって感じですが、なんか俗っぽそうなものが読みたかったのです。
いかにもじゃないですか、天才だもの。なんて。みつをって言いたくなるタイトル。
屋根裏に誰かいるんですよ。もなかなかのタイトルだと思いますが。こわい。
まだ途中なのですが、天才各人に対して、割と言いたい放題で身も蓋もない感じが愉快です。
序文の末尾に、「最後まで、たっぷりと心を濁らせていただきたい。」ってあるのですけれど、この本には、心を濁らせることでのカタルシス効果があるかもしれません。知らんけど。
エンタメ的に楽しむと同時に、天才の他側面、天才の経過、天才の成り立ち的なのを読んでいると、天才ってなんだろうか、天才は自他に創作されていくものだったりするんじゃなかろうか、純粋培養の天才っているのだろうかと、自分の中で天才っていうものがよくわかんなくなってきました。というか、元々明確な定義づけができてないのですが。
個人的に、パッて出てくる天才といえば、フレディ・マーキュリーですかね!
個人の意見なのであしからずでオネシャス!
フレディで考えると、天才の素因までは純粋培養的に培われたような気がしますけれど、最早フレディ・マーキュリーでいることが内外パフォーマンス的になっている段階で、個人である以上に天才って存在になるのかもしれませぬと思いました。
天才は、認知されなきゃただの人。みたいな。
それでは、本日はこの辺で!
ここまでお読みくださって、本当にありがとうございます🍵
今夜もゆっくりお休めますよう💫
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