【向き】ほんの話【合う】
こんばんは🌝
カウンセリングサロンArk(アーク)杉並の青木です。
朝方は曇っていましたが晴れましたね🌞✨
今年は本をいっぱい読みたい気持ち…と思っていたのですが、年明けから結構地味に忙しく、ようやく一冊読了したって感じです。
ちなみに、『死と向き合う心理臨床』(祖父江典人編著)というご本。
内容はタイトルの通り、重いと言えば重いのですが、職業心理をやっている人じゃなくとも、“死”自体は生きてる限り誰もが避けられないテーマなんですよね。
ただ、向き合うという機会は、他の特定の専門職の方もですが、心理職もなかなか多いのではないかと思います。
色々感想はあるのですが、マジで小並感なことしか書けないので省くっす。
しかし祖父江先生の冒頭の「薄っぺらな心理士」にドキッとしてしまいましたね。
そしてとある章をお書きの方が、自分をそう思う的なことをお書きになっていて、なんかちょっとホッとしてしました。
しかし、そうお書きになっていた方は、読み手的には全く薄っぺらではなかったというオチ。
我々心理士はよく臨床家とかって自称したりするのですが、心理臨床家ってどういうことかってのを、当サロンメンバーの三田村パイセンが先生から聞いたのを、むかーし又聞きしたんですよ。
で、「いずれ死ぬ人のそばに寄り添う者」みたいなお話(同じことを別の先生から聞いたって人にも会ったので、私が知らなかっただけで有名?な話かも?)だったのですが、当時はわかるような、ちょっとヲシャな感じに心理士っぽい厨二さがあるな〜とか考えていたわけですが、当時の私はよくわからんから漢字から調べたわけですよ。
床(トコ)には「横たわるところ」、臨には「身を置く」って意味がありまして、なるほど臥す人のそばに身を置くということかとちょっとしっくり来たのでございます。
それでも「いずれ死ぬ」ってのはなんぞや?と、まぁわからなくもないような、でもあえてその言葉を用いるとは…などと思っていたのですが、死と向き合う機会から逃れられない仕事でありますので、生きる人の傍らに身を置くってことは、いつかなんであれ死に向かう人(全人類みんなそう)のそばに身を置いてるってことだなと今は思います。
メメントモリみある話。
そして自分もいずれ死ぬなってことで、心理職に限らず、生まれてきた人みんな自分自身にも臨床しているわ。とも思わなくもない今日この頃です。
それでは、本日はこの辺で!
ここまでお読みくださって、本当にありがとうございます🍵
今夜もゆっくりお休めますよう💫
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